おめでとう だいすきなひと

 

 

 

光くん  お誕生日おめでとうございます!

 

 

 

今日は私のだいすきなひとが 一つ歳を重ねる日。毎年この日を迎えるたびに いろんな記憶を思い出して その記憶たちに囲まれながら 今年もすきで居られて幸せだなあ という気持ちでいっぱいになります。

 

とくに 今年は 光くんが帰ってきてくれて 光くんがメンバーと笑いあって楽しそうにしている、その姿を見ることができた そして今の光くんに対して おめでとうといえる それがすごくうれしいです。

 

 

 

 

 

光くんが嬉しそうにケーキの前に立って 「かわいいサイズだね」なんてケーキの感想を言ったりして  31ポーズ付きのかわいい姿をみれたのが30歳最後の日。その日は光くんの入所日でもあったね。

 

改めて 毎週 今の光くんをみれるヒルナンデスはずっと変わらずに私の1週間の楽しみのひとつだなあとすごく実感したり。

 

私の年越しはジャニーズカウントダウンをみなきゃはじまらない!なんて生粋のオタクの私は思うのですが(笑)不安いっぱい、でもかっこよくてだいすきで 心配も大きかったなあ の大晦日

 

センラぶりのおかえりなさいだったね。幕が開いた瞬間の あの感情はこの先もずっと忘れられないよ。私のだいすきなひとは どんな時でもアイドルを全うする最強にかっこいいひとです。だけど どうしたらいいのかわからなかったなあ。心が追いつくまで時間が必要だった。

 

1週間、光くんを毎日見ることができました。そんな幸せな1週間が、その先の約10ヶ月のはじまりへのカウントダウンだったなんて その時はまだ気づいていなかったよ。

 

 

 

 

私は初めて好きになったアイドルがHey! Say! JUMPで 初めて好きになったひとが八乙女光くんです。だからこそどんな時でも私の傍にはずっと光くんが居てくれて 力の源になってくれていました。これまで辛いときも頑張らなければならない時も ずっと ずっと 傍にいてくれました。

私にとって居なきゃいけないひと、ずっとだいすきでたまらないひと、そんな存在の光くんが見れなくなるなんて 会えなくなるなんて 考えたこともなかったし 想像していませんでした。でもきっとそれは誰よりも一番光くんが想像していなかったよね。

 

 

 

光くんが一人でらじらーをやったとき『信じることが一番のお薬』そう言ってくれたけど きっとそれは自分のことも含まれていたのかなとそのあと思ったりもして。待ってて貰えると嬉しい、そう伝えてくれた光くんを待たないなんて選択肢は1ミリもありませんでした。絶対待って、笑顔でおかえりと伝える、それが私の未来への目標になったんです。

私はこの期間、神社にいって貰ったお守りだけではなくて 光くんが撮った月をロック画面にして それもお守りにして過ごしていました。寂しくなったらその月をみて 私にとって光くんは月みたいなひとだから。がんばろう、踏ん張ろう、ずっと待っているよ、そんな気持ちで。

 

 

ちゃんとご飯食べられているかな、ちゃんと眠れているかな、少しでもいいから毎日の中で笑える楽しいことがあったらいいな、なんてことを考える毎日。寂しくなって会いたくなって泣きそうになることもあったけれど、あの日、私はこの瞬間のために今日まで生きてきたんだと思えるくらい本当に、本当に嬉しかった。色んなことの全てが吹き飛ぶくらい 幸せな気持ちで満たされて、全力で光くんのことをハグしたいくらい(心のなかで全力でハグした)頑張ったね、おかえりなさい、待ってたよ、帰ってきてくれてありがとう、そんな気持ちでいっぱいになって それが幸せな涙に変わったこともうれしかった。人間ってね、本当に悲しいことがあるとオートで涙がでてくるんですよ。そんな初めての経験をした始まりの日から、最後は嬉しさから止まらない涙を経験しました。幸せだった、手の震え止まらなかったよ。

 

 

光くん、ずっと待ってるよ - 大切な貴方へ贈る恋文

あの時の私に伝えてあげたい。貴方のだいすきなひとは必ず帰ってきます。パワーアップした愛おしさを持って また貴方の日常が戻ってきます。心が折れそうになる時もあるかもしれないけれど 絶対大丈夫だよ、信じて待っていてねって。

 

 

 

光くん31歳の一年は光くんにとってもオタクにとっても確実に忘れられない一年になりました。ほぼ毎月のように送っていた手紙も、今月で一度終わりかなと考えています。帰ってきてくれたので節目ですね。離れていてもずっとそばにいること 味方がここにいることがいつか届いてほしい、そんな願いを込めて送り続けた手紙たち。ひとりじゃないと知っていてほしかった。一緒に頑張りたかった。光くんのそばにどんな形であれ居たかったんです。

 

 

私にとってこの一年は 改めて光くんの存在の大きさに気付かされ、どれほど光くんのことがだいすきで大切なのかをすごく実感した一年でした。当たり前ように感じていた毎日は全く当たり前ではなくて 奇跡みたいに愛おしい 大切な日々だったことを こんな風にならなければ気づくことができなかったかもしれません。

 

 

だいすきなアイドルがいて、その姿を見ることができる。だいすきと伝えられる。それってこんなに幸せなんだなと 帰ってきてくれた今 毎日がオタク一日目のような楽しさをもって日々生活しています!光くんがいる!そう感じられる毎日が本当に幸せなんですよね。

 

 

 

 

私はHey! Say! JUMPの中にいる八乙女光くんがだいすきで メンバーと一緒に楽しそうに笑っている姿をみるのが本当にだいすきなんです。光くんはアイドルというお仕事が天職だと私は思っているし、こんなにアイドルが似合う 全力でアイドルとして生きてくれる人に出会えて心から幸せだと感じています。

 

 

 

いつもたくさんのひとを包み込む優しさをもって 常に前向きな光くんが だいすきな世界でこれからも輝き続けられますように!

 

 

 

出会ってだいぶ長い時間が経ちましたが 毎日すきの気持ちは増していくばかりです。光くんのことがだいすきだからこそ ずっとずっと貴方の幸せを願っています。

 

 

いつもありがとう 、ほんとうにおかえりなさい。

 

 

そして 改めて お誕生日おめでとうございます!

 

 

笑顔と幸せ溢れる素敵な一年になりますように!

 

 

 

2022.12.02    fin.

 

 

"最初のすき""あの日から今"

 

 

 

私の八乙女担人生は  きっと知らない間に始まっていた。

 

 

そう断言できるくらい どうしてHey! Say! JUMPを好きになったのか どうして光くんを推したいと思ったのか 実は記憶になくて。まだ幼いとき 教室のど真ん中で"Hey! Say! JUMPが好きなんだ"と叫んだ思い出はある。なぜ叫んだのか それもよく分からない。(今考えればやべえやつだ)

 

 

気づいたら光くんは私の人生の一部になっていて 気づいたら私は大人と呼べる年齢になっていた。それくらいHey! Say! JUMPと光くんと共に青春という時間を過ごしてきたのは確かなのだ。

 

 

私は茶の間オタクの時代が長い人間なので  "推しに会いに行く"という感覚がずっとなかった。そんな私に"ライブに行けば推しに会えるんだ"と教えてくれたのは松島担の幼なじみであり、古い中島担の友人である。彼女たちが私のことをライブまで連れて行ってくれなかったら きっと 推しに会いに行くオタクにはなっていなかったかもしれない。そう思うとなんだか不思議な気持ちになる。

 

 

初めてジャニーズのライブに行ったのは"JOHNNYS' Worldの感謝祭 in DOME TOKYO・OSAKA" そして 人生で初めての東京ドームだった。(ちなみにその時にスカイツリーにもいった。すごいなと思った記憶も。)大きな会場で 目の前に ずっとテレビの向こう側の人たちだと思っていただいすきなアイドルがいた。だんだんと薄れていく記憶が惜しいが 今もまだ覚えている思い出はちゃんとある。私にとってあの場所に訪れることができたこと 一生変わることのない初めてが すごく幸せだった。

 

 

そしてその後 DEAR.までライブに行くことがないのだが。DEAR.では自名義というものを手にした嬉しさがあったなあという記憶。当落がまだ電話で行われていた時代で なかなか繋がらない電話に家族総出で手伝ってもらった。(公衆電話だと繋がる説 あれほんとうなの?)本当に大変だったけど チケットが届いて席を知った瞬間の嬉しさはたぶん一生忘れられないよ。こんな良席ってあるんだ と驚き 友達と心から喜んで。ライブ当日も 目の前にいる光くんがすごくキラキラしていて ああ大好きだなあと何度も何度も実感した。

 

 

その年から毎年ライブに行くようになるのだけど、10周年ライブで それまでずっと少クラなので歌っていて 私も一緒に歌いたいな 生で聴きたいなと思っていた Dreams come trueの"手を伸ばしてごらん きっとここにいるから 怖がらないで 誰もみな ひとりじゃない OH"を一緒に歌えた瞬間の鳥肌は今も鮮明に記憶に残っている。本当に本当にうれしかったなあ。テレビの向こう側の存在だと思っていた人たち。いつか私もメンバーとファンと一緒に と夢見ていた時間。堪らなく幸せだった。現場に足を運ぶことのない 茶の間オタクの私だったが 10年の内 7年は彼らのことを見てきている。なんともいえない すごく濃い時間だった。もう10年 されど の感覚。

 

 

8人になって初めてのライブで それぞれのソロ曲ができたSENSE or LOVE。光くんのソロ曲を楽しみにしていた分 あの時間の悲しさは今もずっと覚えている。(やっかいなオタクだなあと自分でもおもうよ)でもあのとき光くんはハーフアップという言葉を知らずにハーフアップをしていたのもかわいい思い出だったなあとか、ソロ曲の時間は 光くんのことをみんなが見ている それがすごくうれしかったこととか。八乙女担として 光くんを見てもらえる嬉しさといったらもう。私のすきなひと かっこいいでしょ!?状態だったなあとか。幸せな思い出もたくさんあるんだよ。

 

 

 

そんなこんなで たくさん色んなことを端折りながら 私のオタク人生ではじめての気持ちになったPARADEの話をしたい。私的ラストの日 光くんが大きくて 私のだいすきなアイドルで 眩しくて ファンもたくさんいて なんだかすごく遠い存在だなあと初めて思ったのだ。画面越しの存在だと思うことはあっても 上手く言えないが遠い存在だと思ったことはこれまでなかった。それはきっと光くんが アイドルとしてできる最大限の愛を私たちファンに届け続けてくれていたことを知っていたからだと思う。アイドルとファンなんだから遠い関係なのは当たり前なのに スポットライトに照らされた光くんがすごくすごく遠く感じた瞬間だった。それまでの私は 光くんに対して守りたい 傍にいたい という気持ちが強くて 周りを見渡せばなかなか見つからない光くんのうちわを ここにいるよ!と伝えたい一心で持ち続けてきた人間だったので 私が居なくても‥と自己中心的な気持ちになってしまったのも確かだったなあ。もう十分 大きくなったね あなたを愛してくれる人がこんなにたくさんいるんだなあ と身をもって感じたりもした。うれしい さみしさだった。

 

 

 

そこから世界は目には見えない 感染症と闘うことになる。自由に外に出ることが出来ず 推しに会いに行くなんて以ての外。そんな時間が長く続いて。2年経ってやっとの有観客ライブができた2021年。10月に光くんには会っていたので 幕張が2年ぶりのJUMPのコンサートとなった。久しぶりに会う彼らは 私のだいすきな彼らだった。配信ライブで大号泣した最終日。納得がいかず 信じられず ただただ泣くことしかできなかった4月。会いたくて でも会えなくて もどかしい時間を過ごしていたからこそ 友達が連れていってくれた素敵な席で 2年ぶりにみんなに会えたこと 2ヶ月ぶりにアイドルの光くんに会えたこと 心から幸せだった。一緒にいれば嬉しいも楽しいも悲しいも悔しいも お互い分け合って過ごしてきている彼らが 何よりも愛おしかった。

 

 

4年ぶりに"おかえり"といえた仙台公演は2022年初ライブでもあったので また違った部分でのわくわく感もあったなあ。もちろんそれまでの間にジャニフェス・カウコン と光くんに対して「心配」という気持ちが拭えなかった時間もあったからこそ 幕が開いた瞬間の戸惑いはどうしようもなかったのかもしれない。心配かけまいと笑顔を届ける姿 楽しそうな中に時より心配になる表情 前半は放心状態 その言葉がよく合うような感情だった。何が起こっているのか 目の前の状況が整理できなかった。でもそれも4公演目に向けて だんだんと減っていったのは 光くんが"楽しい"を一生懸命届けようとしてくれている中で 自分が楽しまないのは違う と思えたからだと思っている。ここでも私は光くんに助けられているんだなあと実感したりもした。

 

 

後日光くんはやおとめの道で"自分のうちわは最低限ファンサはしたと思います!"と話してくれている。現実的に考えて かなり難しい話なのかもしれないが 私はそんな風に光くんが思っていることがすごく嬉しかった。アイドルとしてファンのことを大切にしているよ と光くんから感じることは多々あるけれど この発言もそう思う理由の一つになった。これからも自信満々にこう思っていて欲しいし、光くんが"自分のファンをちゃんと幸せにできた"という確信がこれからも光くんの心の中にあるだけで 私は本当にうれしい。光くんはどこまでもアイドルであると私は思う。そんな彼が私はだいすきなのだ。

 

 

 

"信じることが一番のお薬"と伝えてくれたあなたがだいすきだからこそ 私は今もあなたのことを信じて待っています。らじらーで光くんの言葉で伝えてくれたあの日。目の前が真っ暗になって 嘘だとすら思った。現実を受け入れきれなかった。なにも出来なくて 何をしていても涙が止まらなくて。そんなオタク人生で初めての経験をした。でも今は 光くんのことを心の中で感じながら 日々を生きています。そしておかえりと言える日を楽しみにしています。光くんがちゃんと眠れていたらいいな ご飯食べられていたらいいな 少しでも笑えることがあったらいいな 一日でもはやく良くなったらいいな そんなことを考えながら生活する毎日です。

 

 

光くんを好きになったからこそ 出会えた気持ちがある。こんなにファンを大切にしてくれるアイドルに私は初めて出会った。というより私は八乙女光くんが人生で初めての推しであることを誇りに思っている。出会えてよかったと何度思ったか分からないくらいだ。アイドルを応援していると"ずっと"や"一生"が叶わないものであると突きつけられる時がある、でも光くんを好きでいると その"ずっと"や"一生"が信じられるのではないかとすら思ってしまうのだ。光くんが届けてくれる幸せの魔法はとても大きな力をもっているんだよ。あなたを好きになれて本当によかった。気づけば私に残っている最初のすきの記憶から 十数年の年月がすぎた。長いようなあっという間な時間だった。人生のどん底にいた時 イヤホンから流れたKISS Diaryの光くんの歌声に涙し 東京からの帰りの新幹線の中で何度も何度も繰り返し聴いたJUMP WORLDのアルバム曲たち。そんな風に私の人生の節々には光くんとHey! Say! JUMPがいる。それが本当に嬉しいのだ。

 

 

今7人のHey! Say! JUMPを見るのが時より辛くなる瞬間があるが、この先 長くHey! Say! JUMPで居続けるために 自分にもストイックな彼が選んだこのおやすみをするという選択を私は肯定していたい。無理して続けるのではなく おやすみをする と決めてくれた光くんにありがとうと伝えたい。私は光くんに世界でいちばん幸せでいて欲しいと思っている。それは私が思う一番の幸せではなく 光くん自身が "世界でいちばん幸せだ"と思える人生を歩んでほしいということだ。だからこそ 自分をいちばん大切にして欲しい。きっとこの先も ふとした瞬間に暗い気持ちになる時もあるかもしれないが その気持ちとうまく付き合いながら ゆっくり光くんのことを待っていたいと思う。だいすきなあなたが 笑顔で帰ってくる日を私は心から楽しみにしている。無理せず 光くんのペースで これからもすごしていてくれたら それでいい。

 

 

"また 笑顔で"

 

 

会える日まで。

 

 

 

2022.04.13 fin.

私の夢は貴方の主演舞台を観劇することです

 

 

 

なんでもない大分長めのひとりごと。

(舞台の話に触れています。松島聡くんの名前も出てきます。否定的なことを書いている訳ではありません。私自身の本心です。自衛よろしくお願いします。)

 

 

 

 

この間本屋さんでたまたま松島聡くんが表紙をしている雑誌を見かけました。聡くんだったから、近寄って見てみたんですよね。そしたら表紙の隅に"こどもの一生"の文字を見かけて。

あっそうか、そうだよね   と。上手く言えないけれどそれが現実として当たり前なことなのに 寂しくて、もしかしたらここに居たのは光くんだったのかもしれないと思ったら余計にどうしようもない気持ちになっている自分がいて。誰も悪くない 勝手にそう思ってしまったのは私自身。また別の日には テレビからこどもの一生の宣伝コマーシャルが流れてきて もちろんそこには松島聡くんの文字があるわけです。うん やっぱりまだまだ悲しかったんだなあと再確認したりしました。舞台のキャンセルメールが届いたときも、代役が決まったときも、その時々の感情があって でも全部しっかりと寂しさを感じていた。光くんを待つんだ!と心に決めて 舞台もきっとまたチャンスがある!と前向きに考えようとしても こんな風に不意に目に入る現実を本当はまだ受け止められていなかったんだなあと痛感させられました。

 

 

光くんの主演舞台が決まった日 うれしくてうれしくて仕方がなかった。ずっと周りのメンバーに演技の仕事が来るたびに羨ましくて。光くんにも演技の仕事がほしい、どうして来ないんだ、と思ってばかりいました。この4年間 最初は本人もやりたいと口に出してくれていたのに それもだんだんと減っていき 終いにはバライティおじさんになると言われてしまって。そう言われた時は正直戸惑ってしまったし 私が見たい姿はもう見れないのかもしれないとまでも思ったけれど。他のメンバーから"光の演技見てみたいなあ"と言ってもらえたときはすごく嬉しかったな。全力で同意していた気がする。苦手なことを克服するために辛いことを頑張ってきた姿も、学ぶために足繁く通う姿も、追い込みすぎてこちら側が心配になった時もあったけれど、それだけ真剣に向き合う姿がだいすきだから その姿をまた見れるんだと思うとものすごく嬉しかったんです。

ヒルナンデスで「来年は自分の主演舞台成功させます!」と伝えてくれたとき 久しぶりに光くんの演技を見れるんだ 光くんのだいすきなあの姿が見れるんだ そんなことを思って泣きそうになりながら 頑張ろうねって思ったこと鮮明に覚えてるよ。今もまだ舞台のために作ったインスタグラムのハイライトはそのままにしています。いつかまた光くんの主演舞台が決まった時にバトンタッチをしたいなと思うから。それに 無くしたくなかった、光くんがこどもの一生という舞台の主演をする ということを自分の心の中だけに留めておきたくなかった。どうしてもその証を残しておきたかったからだと思う。 

 

 

 

 

そもそもこのブログを書きたいと思ったきっかけが聡くんの言葉にあります。聡くんはこの舞台が決まってからよく光くんの名前を出してくれているのを見かけます。だけど私が知っていることはほんのひと握りのことだけ。(もしかしたら聡くんはもっと光くんの名前を出してくれているかもしれないですが。)

そんな私が聡くんの

またのちに、光くんにこどもの一生という舞台に立っていただけるように良いバトンを渡せる形で終わらせることができたらな、というのが最終的な目標

という言葉を見かけて 泣きそうになるくらいすごくすごく嬉しかったことをこのブログでは一番書きたかった。聡くんがとても素敵な人であることは知っています。この舞台を引き受ける上での覚悟も文章から伝わってきました。それでも八乙女担として寂しさを感じてしまっていたのも事実でした。でも 光くんの想いを受け取り次に繋げようとしてくれている聡くんの存在が光くんを好きな身として 本当に本当に嬉しくて有難くて。これは嘘ではありません。これからもきっと舞台の名前と聡くんの名前を見る度に どうしようもない感情を自分のなかで作り上げてしまうかもしれない。でも、それでも聡くんが"こどもの一生"という舞台に立つと決めてくれたこと その覚悟にずっと感謝していたいと思いました。(見に行くことはできませんが、当日会場には行ってみたいなと少し考えたりしています。大切な一日であり一公演なので。)

 

だから私は 光くんの気持ちも、聡くんの気持ちも、私自身の気持ちも、このブログをここまで読んでくれているあなたの気持ちも、どの気持ちも全部正解で 間違いなんてないんだ。そう思うことにしました。こんなふうに思ってしまう自分が嫌い、そう私もよく思うけれど どうしようもないことだってある。もちろん人として良いことと悪いことの区別はつけるべきだと思うけれど、自分の気持ちを全て否定するのは違うのかなと。自分にほんの少しだけ優しくあろうと思いました。光くんのように どんなことでもポジティブ変換できる人間になりたい、そう思いながら 今の自分と向き合っていくのもありなのかもしれないと思いました。チケットが届いて当日を楽しみしながらワクワクする気持ちも、光くんを舞台上で見ることができる嬉しさも、光くんが届けてくれた舞台の世界に浸ることのできる幸せも、その全部はまたいつか。

 

 

私は聡くんがカンパニーの皆さんと作り上げる"こどもの一生"という舞台が楽しみです。私の大切な友人のひとりに 長年聡くんを応援している子がいます。その子に感想を聴けたらいいなと思ったり。そんな風に少しずつ自分のペースで今と向き合っていきたいです。 "いつか光くんが" その日を夢みて。そのいつかのために日々を頑張ろうと決めました。光くんを待ちながら 光くんに思いを届けながら 笑顔で再会できる日を願って。

 

 

 

2022.03.17  fin.

 

光くん、ずっと待ってるよ

 

 

 

 

 

 

今日私の大好きで大切なアイドルが活動休止を発表しました。

 

 

 

 

 

なにも考えられなかった。ただどうしていいか分からなかった。光くんがいなくなるなんて考えれられなかった。メールが届いても 直筆の文章をみても 舞台のキャンセルメールが届いてもただただ涙が止まらなくて 信じられなくて 嘘なんじゃないかとすら思ってしまって。

 

 

 

 

光くんの努力が報われたと思ったんだけどなあ。夢が叶ったってすごくすごく嬉しかったんだけどなあ。なんでこんなに神様は意地悪なんだろう。光くんがなにか悪いことしたの?あれだけ真っ直ぐにいつも優しさをくれる光くんがなんでこんなに辛い思いしなきゃならないんだろう。なんで、なんでが止まらないよ。私の大好きな人を悲しませないで。舞台降板が決まっていたのに 宮城で舞台が出来ることになってって話してくれたのかな。辛かったのにライブ頑張ってくれたんだよね。光くん辛かったよね、しんどかったよね、もう本当にがんばったね。光くん偉い。ここまで頑張ってくれて、北海道と埼玉があったらもっともっと頑張ろうとしてくれたんだね。ありがとう。どんな時でもファン想いで優しい光くんだ。本当にどこまでもあなたはアイドルだよ。

 

 

 

 

 

大好きなものが辛さの原因になる。大好きな音楽もバライティーも。いつも笑顔で いつも前向きで いつもどんな時でも大切にしてくれる光くんがいてくれたからこそ 今日まで色んなことたくさんたくさん頑張ってこれました。光くんのパワーってね、ほんとうにすごいんだよ。

 

 

 

 

 

2022年1月29日、らじらー最後の10分。

震えながら 最後まで自分の言葉で伝えてくれた。

"待ってて貰えると嬉しい"そう伝えてくれた。

もちろん、待ってるに決まってるよ!!!!!!!!!!!!

何があっても ずっと待ってるから。

 

「信じることが一番のお薬」だもんね 光くん。

 

だから どれだけ時間がかかってもずっとずっと待ってるよ。

 

 

 

 

当分会えなくなっちゃうけど ひとりで寂しくしないでね、ひとりで悲しまないでね、どうか ひとりで頑張らないで。ずっとそばにいるから。

 

 

 

 

たくさんのファンが 貴方の帰りを待っているからね。

 

 

 

 

 

光くんを応援してきた 13年とすこし。

こんなに悲しくて寂しくて どうしていいか分からなくなったのは初めてでした。

誰も悪くない、もちろん光くんは全く悪くない。

辛そうだったのもわかってたよ。

よくここまでがんばったね。

 

 

 

 

 

宮城公演初日、ヘッドホンをしている光くんをみて戸惑ってしまった。悪い予感がして悲しくなってしまった。それでもファンを心の底から楽しませようとしてくれていたのを見て、私も純粋に楽しみたいと思った。時より苦しそうにする瞬間をみて 大丈夫かな?って心配になりながらの2日間。はやく光くんの口から知りたかった。でも知りたくなかった。現実が怖かったからなのかもしれない。

 

 

 

 

 

そのあとも普通にお仕事をしていたし、今週は毎日テレビに出ていて、ああほんとうに頑張っていたんだなあとおもった。昨日の番宣も一日、いつも通りの光くんだったから。ほんとうにどこまでも強い人だよあなたは。

 

 

 

 

 

頑張り屋さんすぎるところが だいすきで でもすこしだけさみしくて。

 

 

 

 

 

もう十分頑張ったよ光くんは。だから 頑張ってね 送り出さないから。絶対待ってるよって送り出す。

 

 

 

 

 

光くん、まってるから。

だから 絶対帰ってきてね。

どれだけ時間がかかっても 必ず待ってるからね。

 

 

 

 

 

まただいすきな笑顔で、ただいまっていってね。

 

 

 

 

 

だいすきだよ。愛してるよ。

私が初めて出会った大切な人。

 

 

 

 

ゆっくり 好きなことして、お仕事のことは気にしないで、今まで頑張ってきた分、たくさん休んでね。

 

 

 

 

くしゃって笑う顔が好き。

いつもファンを大切にしてくれるところが好き。

前向きになんでも考えられるところが好き。

これまで 元気と幸せをたくさん貰った分、今度は私があなたのことを信じて待ってるから。

 

 

 

 

どうか 無理はしないで。約束だよ。

無理しすぎるところがあるから、でも今は無理は禁物だからね。

ただ一日でもはやく光くんの笑顔が見れることを願っています。

 

 

 

 

 

なんて言っていいか分からなくて、でも光くんの勇気にすこしでも力になりたくて。なぐり書きでかいた、このブログ。光くんがJUMPから少し離れること 想像もしていなかった未来だけど、光くんがこれからもHey! Say! JUMPであり続けるためのおやすみだもんね。受け止めるまで 落ち着くまでまだ時間かかりそうだけど ただどんな事があっても変わらない気持ちは "あなたのことを待っている" ということ。だいすきだよ。大丈夫 待ってるからね。おかえりっていわせてね。行ってらっしゃい。